Wat00300 「科学と報道」20  心臓移植〈その8〉混沌

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  科学朝日に連載中の「科学と報道」(8月号)を関連発言に掲載します。
  「心臓移植」シリーズの8回目は「混沌」                      北村

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  コラム[科学と報道]20

  心臓移植 〈その8〉 混沌

  柴田鉄治                朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ

 1985年12月に出た厚生省の「脳死に関する研究班」の判定
基準が、各方面から批判を浴びて、結局、心臓移植の再開にはつな
がらなかったことで、社会の空気も少し変わってきた。報道のトー
ンも心臓移植の再開を「いまか、いまか」と待ち構えるような雰囲
気は薄まり、事態を冷静に受けとめ、客観報道に徹しようという姿
勢になってきた。
 もちろん、「なせ日本だけが……」という疑問は残っており、移
植治療を求めて海外へ出る人もあとを絶たなかったが、それが、一
時のように、キャンペーンのようになることはなかった。移植とい
う医療は、第三者の死があって初めて成り立つという点で、通常の
医療とはまったく違うことが、しだいに浸透してきたからである。
 たとえば、脳の機能が停止した以上、治療を打ち切ってできるだ
け早く臓器を利用すべきだという考え方は、次には、回復の見込み
のない患者の治療を打ち切って医療資源の有効利用をはかるべきだ
とする合理化への誘惑を生み、医の倫理の根幹をゆるがす恐れさえ
あることが指摘されたのもその一つ。また、そこまでいかなくとも、
臓器売買のようなことが起こってくる危険性を秘めている点も、無
視できない。
 脳死判定の難しさといった技術的な問題にとどまらず、脳死・移
植のもつ本質的な「きわどさ」がいっそう鮮明に浮かびあがってき
たとでもいえようか。「社会的合意をめざす」という大合唱とは逆
に、異論続出の様相を呈してきた。
 その代表例が日本学術会議である。86年4月の総会で脳死につ
いて議論し、「医療技術と人間の生命特別委員会」が翌87年4月、
脳死を個体死と認めるという中間報告をまとめた。ところが、この
中間報告に対して、総会で慎重論や時期尚早論が続出して紛糾し、
結局、修正案もまとまらずに総会の議題からはずされた。
 特別委ではその後「医学、生物学的には脳死を個体死とすること
が妥当だが、社会的には異論もある」という修正案をまとめ、同年
秋の総会にはかった。しかし、この案にも、異論続出で修正が加え
られ、最終的には両論併記の、とても統一見解とは思えないような
見解を承認した。

                異論続出、学術会議など紛糾
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「学者の国会」とも呼ばれる学術会議
で、脳死を容認する統一見解が生まれれば、社会的合意に近づくの
ではないか、と期待していた移植医たちは、ここでもまた失望の念
を抱かされたことになる。
 学術会議の紛糾が象徴するように、報道の面でも異論続出、論争、
対立……といった見出しの躍る紙面が多くなった。
 朝日新聞に『論壇』という欄がある。読者からの投稿も受け付け
るオピニオン欄で、一つの問題をめぐって、反論、再反論と論争に
発展するケースも少なくはないが、脳死・移植問題ほどさまざまな
意見が『論壇』をにぎわしたテーマも珍しい。そのいくつかの見出
しだけ拾ってみても−−。
「死の宣告できるだけ慎重に−−脳死も心臓死も絶対的基準でない」
                                                        (国立病院医師)
「『脳死』とは科学的事実−−死の宣告、感情におぼれず理性的に」
                                                        (病院診療部長)
「問題多い米の『生命倫理』−−日本の国民感情に合うものが必要」
                                                        (臨床心理士)
「問題残る脳死と臓器移植−−社会的合意妨げる要因解明せよ」
                                                        (大学法学部長)
「臓器移植の合意形成に努力を−−医師不信解消には倫理委公開が大切」
                                                        (大学教授)
「脳死・臓器移植に科学的論議を−−過大な期待の割には評価が不十分」
                                                        (大学助教授)
「脳死臨調は社会的合意めざせ−−未熟な現状ふまえ幅広い論議を」
                                                        (病院長)
「脳死−臓器移植は実行の段階−−論議は大切だが、患者は待てない」
                                                        (移植外科医)
「不十分な『脳死』判定基準−−死と認める前に未解決の問題示せ」
                                                        (病院脳神経外科部長)
 ざっとこんな具合である。脳死・移植医療がいかに多くの問題を
含み、さまざまな論点があるかを示すものといえよう。
 この間の大きな動きとしては、87年3月に日本医師会の生命倫
理懇談会が脳死を個体死と認め、本人や家族の同意があれば臓器移
植をおこなってもよいとする中間報告をまとめた。日本医師会の影
響力の大きさからいっても当然のことだが、新聞には「脳死はっき
り認める 臓器移植に弾み」といった大見出しが躍った。
 ところが、この日本医師会の見解に対して、これまた大きな影響
力をもつ日本弁護士連合会が、88年4月、人権擁護の立場から反
対の意見をまとめる。「日弁連、脳死容認に反対 『社会的合意、
まだ』 臓器移植にも反論」とこれも大見出しになる。
 専門家の間でもこうなのだから、世論が割れるのは当然といえる
かもしれない。脳死をめぐる各種の世論調査結果は、そのことをは
っきり物語っている。88年3月に行われた朝日新聞の世論調査に
よると、「脳死になった人は死んだと認めてもよい」43%、「脳
死になっても、心臓が動いているかぎり死んだとはいえない」42
%と真っ二つに割れた。
 しかし、世論調査結果を一歩踏み込んで分析してみると、「脳死
は死と認めないが、心臓移植は推進すべきだ」といった矛盾した回
答が多く、脳死や心臓移植についての国民の理解は、必ずしも行き
渡っていないことも明らかとなった。脳死・移植をめぐる社会状況
は、一層、混迷の度を深めたとでもいえようか。かつては、何十例
も行われていた脳死段階での腎臓移植も、現実はともかく表面的に
は姿を消す形になった。

                    一石投じた生体肝移植
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 臓器移植法の制定をめざし、一時は議員立法も、と張り切ってい
た超党派の「生命倫理研究議員連盟」も、この混沌とした社会状況
にとまどいをみせ、結局、日本型政治の常道である臨時調査会を設
置する方向に落ち着いた。「臨時脳死および臓器移植調査会」−−
いわゆる脳死臨調は、委員15人、期間2年の予定で、90年3月
に発足した。
 脳死臨調の結論が出るまで、心臓移植を再開しにくくなった状況
はあるが、実際に、個々のケースで移植にゴーサインが出るかどう
かは、各医療機関に設けられた倫理委員会の判断にかかっている。
90年6月の時点で、22医療機関の倫理委に、脳死段階での臓器
移植の申請が出され、審理がなされている。
 ところが、倫理委の判断も、大学によっていろいろに分かれてき
そうな気配である。東大医科学研究所が脳死段階での肝臓移植にゴ
ーサインを出したのにつづき、大阪大では肝・腎臓を含め心臓移植
も認める方向を打ち出している。それに対し、島根医大では、社会
条件が整っていないと、脳死・肝臓移植の申請に「ノー」の結論を
出した。
 こうしたさなか、89年11月、島根医大で生体肝移植が行われ
た。父親の肝臓の一部を1歳の息子に移植したもので、倫理委での
審理もなく、突然の実施だった。続いて90年6月、今度は倫理委
の承認も得て、京大で生体肝移植第二例が、続いて第三例が信州大
で行われた。
 生体肝移植は、脳死・移植とはまったく違う治療法だが、こうし
た流れのなかでの手術だけに、社会の関心を集め、やや過熱しすぎ
といっていいほど大々的な報道が続けられた。この生体肝移植が、
脳死・移植を認める方向へ社会を動かすのか、あるいは、逆の方向
へ作用するのか、その予測は難しいが、いずれにせよ、その波紋は
小さくないと思われる。

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写真

●学術会議の紛糾
 脳死について「医療技術と人間の生命特別委員会」がまとめた見
解をめぐり、日本学術会議の総会で異論が続出、紛糾した。最終的
には、両論併記の報告になった。(1987年10月22日、東京・港区の
学術会議で)